トップ 社労士BLOG 私の読書ノート >老ひてこそ味わいふかし友の味

« 画家中川一政の歩いた道 | メイン | 武家の娘の心得 »

老ひてこそ味わいふかし友の味

百七歳の声楽家・嘉納愛子さんと九十三歳の副住職・西端春枝さん。
長い人生の山坂を越え、いまなお歩み続ける二人を支えるものはなにか。
 現役で東京音楽学校(現・東京芸術大学)へ入学し、ピアノは8時間、歌は3時間必死に練習し忙しい学生時代を送っていた嘉納さん。あるとき、知り合いの縁で作曲家・山田耕筰の門下生となり、レッスンを積みながら演奏旅行にも同行していた。「詩の心を聴衆にわかるように伝えなさい。歌ってはいけません。語るように歌うのです」。情景を思い浮かべてその気持ちになって歌うことが大事だと何度も教えてもらったという。生きている限り、それを忠実に次の世代に伝えていきたい。後世に受け継いでもらうのが、師匠の恩に報いることだと確信している、と嘉納さん。

「にほんブログ村」に参加しています^^
にほんブログ村 士業ブログ 社会保険労務士(社労士)へ
↑ポチッと押して頂けると嬉しいですヽ(^o^)丿

ところが音楽学校卒業後、山田耕筰の音楽活動を支えていた江戸時代から酒造業を営む名門旧家の分家の四男、嘉納鉄夫にプロポーズされ、旧家の「若奥様」になる。それまでとは全く違う生活が始まり、打ち込んでいた歌も、一切歌わなくなっていった。当時はステージの仕事を持っている人は河原乞食と呼ばれ、由緒ある旧家の若奥様がそんな仕事をするわけにもいかず、夫からも音楽学校を出て歌を歌っていたことは口外しないようにと言われ、ピアノも蔵にしまわれてしまった。しかし嘉納家のしきたりや振る舞いを身につけなくてはならないことが多く、1年後には長男も生まれとても歌のことを考える暇はなかったそうだ。
「百年まで生きていて実感したのは、人間はめぐみの生活ばかりでは決してない。人生は公平だ。ということ」嘉納さんがそれを教えられたのは十一歳で長男が亡くなった時だという。朝急に熱を出して、その日の夕方には息を引き取ってしまった。
ただ辛く、後悔の念ばかり募っていった。長男が亡くなってから3年はなにもするやる気が起きなかった。そんな折、相愛女子専門学校の学長から音楽家で声楽を教えて欲しいと声がかかった。教育者としてならと嘉納家からも許しが出、嘉納さんは再び音楽の世界へ戻った。「苦労があっても、これは息子がわたしたちになにか教えてくれるんだと思えるようになり、あまり悲しむこともなくなりました」
 「まだ自分の歌に満足せずもっとうまくなれると信じている。何かを見たい、食べたい、聞きたい、歌いたい欲張りな人間なんです」と百七歳という年齢を感じさせない好奇心を見せた。万事入精。万事に丹精を込め、あらゆることに誠心誠意を尽くしていくという言葉。師の教えや息子への思いを忘れず、歌い続ける嘉納さん。年齢を重ね、人生の甘さも苦さも味わった彼女だからこその深い滋味はまだまだ底を見せることはなさそうだ。


致知9月号
老ひてこそ味わいふかし友の味 より



質問等がございましたら、メール又は電話(011-748-9885)にてお問合せ下さい。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://yoneta.deca.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/715

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

Calendar

2016年06月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
Powered by
Movable Type 3.34
Copyright(C) 2016 米田社会保険労務士事務所 All rights reserved.