最近テレビや新聞で、若い世代の語意力のマズさをテーマにしたものを良く目にします。
他人ごとに感じてましたが!!
危機感を感じる今日この頃です。ヽ(*´∀`)ノ
語意力が少ないことは、自分の考えや想いを正確に相手に伝えることができないばかり
か、正しい知識を学び理解すことへの障害にもなりますね。(汗
自分の知識の範囲でしか、物事を受け止められないと考えると……
常に学ぶ姿勢を大切にしていきたいと思います。
前回書かせて頂いた、優れた経営者の資質について
また少し触れたいと思います。
ビジョナリーカンパニー② 飛躍の法則より
十数社の優れた偉大な企業の経営者について、共通する資質があること。
①、徹底して謙虚であり、控えめで飾らない。
②、職人の様に、勤勉な姿勢で仕事に取り組む。
この本の中では、これらの資質を持ち、企業を偉大な功績をへと導いた経営者たちを「第5水準の経営者」と称しています。
このことについては、前回書かせて頂いた内容の通りです。
それと比較して、素晴らしい業績をあげながらも、偉大な組織へと導く事のできなかった経営者の資質についても、本の中では多く述べられています。
後者の資質については
『項羽と劉邦』
著:司馬遼太郎
に登場する「秦の始皇帝」の持つ資質について多く共通する部分があるため、今回はこのことについて触れさせて頂きます。
秦の始皇帝
中国大陸を初めて統一した人物です。
統一がなされるまでは、複数の王国からなるバラバラな状態が当たり前とされていました。
各地には王が君臨し、貴族なども存在していました。
そんな中、秦の始皇帝は、それらすべてを排除し、法によって国を治めることを行なった偉大な人物です。
しかしこの国は長く続きませんでした。
偉大な人物であることには間違いはないのですが、秦の始皇帝は、とても我が強く、自身の偉大さを示すことに余りにも一生懸命過ぎたのではないでしょうか。
不老不死の薬を作らせるために多くの資金を投じ、また権力を示すため、何十万人もの軍隊を引き連れて中国全土を回ることに人生の大半を費やした様です。
秦の始皇帝の目的は、偉大な組織、素晴らしい国を創るということではなく、自身が個人として偉大になるこであったと思えます。
個人として、富や名誉を獲得したいと願っていたならば、その目標は達成されたといえるでしょう。
しかし、偉大な皇帝となることが真の目的であったならば、彼は自身の欲望によって敗北したと私は考えます。
偉大な皇帝とは?
この定義については人によって様々でしょう。
少なくとも秦の始皇帝が行なった、
儒教(中国の伝統的道徳思想)を廃止し、法と権力での支配。
権力を誇示するための巡行。
宮殿に籠り、一人の側近を除いて、誰も身辺に近づけなかったこと。
等々…。
良い組織を作る上で、良い方法ではなかったと思います。
話は「ビジョナリーカンパニー② 飛躍の法則」に戻りますが、素晴らしい業績を挙げながらも、その業績を長く持続できなかった経営者の多くは、
偉大な経営者であるとの世評を集めることに熱心であり、組織に対してよりも自身に対する野心が強い傾向があったようです。
偉大な経営者とは、個人としてとても優れた人のことなのでしょうか?
それはわかりませんが、
少なくとも、偉大な経営者とは、偉大と称される組織の経営者であることには反論はないでしょう。
偉大な経営者になること。△
偉大な組織を造ること。→結果、偉大な経営者?
冒頭で述べた第5水準の経営者については、自分個人に対して野心を抱かず、なによりも組織に対して野心を抱き、
自分個人に対してのみの考え・行動を超えた、組織に対する素晴らしい考え・行動を習慣としていた事が、
本の中では「謙虚」と表現されていたように思えます。
文章を短くまとめられませんでした。Y(>_<、)Y
長文になってしまいすみません。
最後まで読んで頂きありがとうございました。☆彡
感謝の気持ちを込めて!!
吟じます!!
意気込んでペペロンチ〜ノを作りすぎてしまったぁ〜〜〜
あぁ〜〜〜 ぁぁ〜〜〜
残ったやつに、カゴメトマトジュースをかけるぅーーーー。
合うと思います!! (`・ω・´)
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