自分自身振り返ってみて、自己満足という「一時的な心理的調整期」が多いと思う。
掲げた目標を達成し、次への目標を掲げるその間。
多分、今年も色々な考えを取り入れて、自分自身納得していくだろう。
そして、実践してみる。
今年は色んなセミナーに参加しなくちゃ(*^ー’)b
ここで司馬遼太郎の「坂の上の雲」から一説
『型といえば、元来、軍隊というのは型そのものであり、その戦闘についての思考は型そのものであった。
ついてながら型をもって種類多く暗記している者が参謀官になるとく習慣が、日露戦争後う生まれた。
日露戦争の終了後、その戦訓を参考にして作戦関係の軍隊教科書が編まれ、陸軍学校における作戦教育もそれが基調になった。
その日露戦争の型をもって滑稽なことながら太平洋戦争までやってのけるという、他のどの分野でも考えられないほどの異常さが、軍隊社会においてはむしろそれが正統であった。
「日本軍は奇妙な軍隊である。そのなかでもっとも愚かな者が参謀懸章を吊っている』と、太平洋戦争の末期、日本軍のインパール作戦を先制的にふせいでこれを潰滅させた英軍の参謀が語っているように、軍人というのは型の奴隷であり、その型というのは、その軍隊と、それが所属する国家形態がともどもに滅び去るまで滅びない。
更に例をあげれば、天才は方の創始者であり、戦術家としてのナポレオンは自分の編み出した型として存在した。
彼はその型によってヨーロッパを席巻し、その型が敵に対して通用しなくなったときに、型とともに滅んだ。』(司馬遼太郎著 「坂の上の雲」 会戦の章)
「型」って、要は「思考パターン」→「行動パターン」、「慣習」ってことですよね。
私が思うに軍隊に限らず、誰もが「型の奴隷」だと思います。
旧日本軍は、昔の成功体験を踏襲することから抜け出せなくて滅んだ。
日露戦争のときの参謀達は児玉源太郎や秋山真之のように知謀を尽くして尽くして、運もも運びこんでのあの結果であった。

秋山真之
成功体験だけを学んで新しい型を作ろうとしなかったのは、結局は怠慢でしかなかったと思う。
児玉源太郎も秋山真之も、日露戦争に死力を尽くしたが為に短命だったと言われているぐらい。
そして、今、世の中は凄いスピードで変わっている。
世間は変わっているのに、自分自身の今現在の「慣習」を変えないでいるってことは当然の結果として、時代遅れ以上の何ものでもないと思う。
それは自分の人生に無責任なのでは?
それで幸せになれる訳がないと思う。
やりたいことをやって、やりたくないことはしない、それって「動物」と何が違うのかな?
それは経営者であったとしても、サラリーマンであったとしても同じだよね(ーー;)
常により良いものに!常に価値を創造する!
自分自身を見つめて、日々価値観を磨いていきたいものです。